大田原商工会議所の歩み

昭和21年 那須地区において、県北の経済界再建を目指し、那須土木(株)の玉木三子氏らによる商工会議所設立の動きが始まる。
昭和22年 県北唯一の法的経済団体として社団法人那須商工会議所が設立される。当時の会員数923名、予算規模28万円。
昭和25年
~27年
こども大博覧会、第1回花火大会、工場親善野球大会、県北経済人新年懇談会、移動動物園など開催。
昭和29年 玉木三子氏が初代の栃木県商工会議所連合会会長に就任。
昭和29年 県内最初の新法による那須商工会議所となる。
昭和30年 大田原市青色申告会設立。
昭和33年 第1号誘致企業として川田工業(株)が野崎に操業を開始。その後、毎年のように企業誘致が進む。
昭和35年 商工会法制定により地域を大田原市に縮小し、大田原商工会議所と改称。大田原中小企業相談所を併設。
昭和38年 市旧庁舎に事務所を移転。(現在地)
昭和44年 日本団体生命保険(株)と委託契約を締結し、会員事業所の福利厚生充実のため生命共済制度を開始。
昭和45年 大田原ダイヤモンドサービス会を設立し、事務を受託。
昭和49年 念願の新会館が落成。
昭和54年 協同組合中央通り商店街振興組合設立。野崎工業団地に(株)東芝那須工場操業開始。
昭和56年 会員数1,200名、組織率50%突破により日本商工会議所会頭表彰を受賞。富士通(株)那須工場が操業開始。
昭和58年 会員数1,600名、組織率70%達成。
昭和60年 異業種交流事業に着手し「大田原研進クラブ」を設立。
昭和62年 創立40周年記念事業実施。「与一の里づくり推進連絡協議会」設置。
平成 元年 第1回大田原産業文化祭開催。「那須与一公800年祭」を開催

平成 2年 「幸矢の与一像」の設置。
平成 3年 「つくし野夏の夜市」の実施。
平成 4年 那須与一像・資料館・物産館建設促進委員会を設置。「こだわりのメインストリート」の作成。商業まちづくり委員会設置。
平成 5年 国会等移転問題調査特別委員会、国際医療福祉大学開学促進特別委員会を設置。
平成 7年 国際医療福祉大学が開学。
平成 9年 創立50周年記念事業実施
平成10年 大田原商工会議所街づくり懇談会の設置。
平成11年 オウム問題で与一まつり等イベント相次いで中止。
平成12年 地域振興活性化事業「夢づくり工房おおたわら」開催。
平成13年 商店街等活性化事業「チャレンジショップ」開館。
会議所リフォーム工事着工。
平成14年 会議所リフォーム工事完成。
商工会議所経営改善計画アンケートの実施。
創立55周年記念式典、記念講演会の開催。
平成23年 東日本大震災の影響で会館を撤去
現在地に移転する。(山の手1-1-1皇漢堂ビル)